反復練習を経て遠泳達成

今月、一部の定期レッスン生達はクロール遠泳に挑戦しました。6名の子供達が500m遠泳を達成、うち3名が1000m遠泳をクリアしました。水泳歴はバラバラですが、皆さん当教室で1~3年ほど練習を積み重ねました。

皆さん時に楽しくワイワイする時もありますが、コツコツと地味な反復練習ともしっかり向き合いました。

地味な反復練習というのはある段階で“避けては通れないもの”として存在します。これは同じような問題ばかり解く“計算ドリル”や“漢字ドリル”と似ていて、スポーツの上達において必要不可欠なものです。多くのお子さんは飽きっぽいので、私はあの手この手で指導します。レッスン内で私がおどけたり曲芸をしてみせたり…というのは、何とかして地味な反復練習を乗り越えて…そんな意図もあります。

初心者にとって最初の頃はどんな練習でも新鮮に感じることでしょう。ですが、同じ練習ばかりやるとやがて飽きてしまいます。これはどのお子さんもだいたい同じです(まれに違う子います)。ただ、その新鮮味の無くなった練習を何度も何度も繰り返すと、新たなテクニックを身につけて次のステージに上がる事ができます。すると、そこには練習を積み重ねた者だけが味わうことのできる「新鮮なもの」が待っています。

例えば、ラクなクロールを身につけた子供が「自分の限界ってどんなだろ?」と遠泳に挑戦したり、平泳ぎを習得した子供が“ビート板を頭の上に乗せて顔上げ平泳ぎ”に挑戦したり・・・目新しさというのは初心の頃に感じるものとは少し形を変えますが、どの段階にも「新鮮なもの」は存在すると思っています。

この様に同じ練習を繰り返すことで様々なテクニックを習得していくわけですが、こういったことを何度も経験することで、物事(スポーツ以外でも)において上達するには必要なことなんだと徐々に理解していきます。

話は変わり、当教室では「まずはラクなオヨギを身につける」こと念頭に置いて練習します。ゆえに、現在の定期レッスン生(25年3月現在)は16名中10名が500m遠泳をクリア、うち6名が1000m遠泳をクリアしています。

今現在、木曜17:15~ の定期レッスングループ枠1名分を募集しています。同枠のキャンセル待ち無しでの空きは数年ぶりです。現受講生と年齢・泳力をある程度合わせますが、ご興味の方は一度お問い合わせください。学校や学習塾では体験できない事に挑戦してみませんか?

千葉隆礼

追伸:現在受講中(25年3月)の単発レッスン生のうち3名ほどが1000m遠泳,5名ほどが立泳ぎを習得しております。

泡って、浮くね。 6

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~あとがき~

民間スイミングスクールの水泳指導者は大きく2つの問題に挟まれている。会社の一員として、その事業を継続できる数字(業績)を求められる一方で、指導者としての立ち振る舞いを求められる。ヘッドにとって、この2つというのは相容れないものであって、容易に多くの生徒(会員)を集める為に“みなし認定”を行って子供や保護者にとって“心地よい体験”を演出する必要に迫られていたと感じている。

(地域柄もあると思うが)保護者にとってのスイムテスト不合格というのは、もう一度同じレッスン内容を受講しなけばいけない=月謝が余分にかかることを意味している。また保護者間での子育ての会話において、アドバンテージを築くことが出来ないと考える方も一定数いる。社員であるヘッドは、このような需要に応えるサービス内容を提供することが、会社から求められることだと思ったのだろう。

しかし、保護者が習い事に求めることはスムーズに進級して家計に優しいサービスを受けたい、ということだけではない。子供の成長にとって良い栄養素となる体験が出来るか、というのも習い事を通して得たいと思っている。例えば、大きな壁にぶち当たった時に、指導者のサポートを得ながら子供本人の手で乗り越える体験があれば、不合格が続いても“かけがえのない”大きな価値を感じる。

ただ、時にこれは指導者にとっては大きなプレッシャーになるのだ。皆さんも小学校の頃に先生の指導を受けても逆上がりが出来なかった同級生はいなかっただろうか?スイミングスクールにおいても指導力や情熱が無ければ、泳げるようにならない子供は一定数存在する。そういうことが実際に起こってしまうと、担当の指導者は能力不足を突きつけられ、地域の保護者や周りの指導者からの評判が下がってしまう。多くの指導者は、こういった事が数字(業績)にも反映されることと、子供に挫折を与えることを恐れている。

だからこそ、「みなし認定」を引き起こしてしまう。実際に私が所属していたスクールでは、出来ていないのに“みなし認定”を行うことに対するクレームは少ないのに、不合格だった時のクレームの方が多かった。保護者のプレッシャーに負けてしまう優しい指導者ほど、「出来たテイ」にして習得していない事実を掻き消してしまう傾向があった。逆に、みなし認定を行ったことで保護者からの指摘がある指導者は、それが大変幸せなことだということにも気づいてもらいたい。教育に理解ある保護者が集まるというのは、指導者として恵まれた環境にいるとも言えるからだ。

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当時、私とヘッドは同じ立場ではなかった。私はアルバイターだったので具体的な数字を求められることがなかったからだ。保護者から能力不足と評価されても、みなし認定をせずに下級指導者として“もがく”ことが出来る立場だった。自主無償でスイムプリントを100枚以上作ったり、指導者勉強会を開催することが出来た(*)のも、出過ぎた行動をとることによってクビになったとしても失うものは何も無かったからだ。
(*)実際にはこれらの活動が認められて一部ボーナスをいただいたことはある。


もっとも、スイミングスクール(会社全体)としての方針を明確に定めて、その方向へ進む者が賞賛されるべきであったと思っている。当時の社内規範では「ウソをつかない」と明記されていたが、実際の業務では、出来ないことを出来たテイにする“みなし認定”「ウソ」(*)が習慣化されていた。この文化が出来てしまったのもサラリーマンとしての業績の向上と、指導者としての立ち振る舞いの両者において、相容れない性質があったからだと思っている。この相容れない性質のなかで、どこにバランスを置くか…方針を定めて現場に落とし込むのが本部の役割である。俗に「本部は現場を理解していない」というのはこういった事象を正確に認識し行動に移すことができていないというのもあるのかもしれない。
(*)“けのび”だけではなく、タイムのサバ読みをしてベストタイム更新の演出があったケースも認識している。

 

補足:ヘッドは自分の担当数を減らす目的で「けのび」の“みなし認定”を行ったとも推測できる。全員合格ということにして、千葉のグループに組み込んでやろうという算段だ。ヘッドは固定給なので担当レッスンが多くても少なくても同じ給料である。それならばなるべくプールに入りたくないと考えたのかもしれない。また、合格認定をバンバン出すことで指導力があるということを演出していた可能性もある。

おわり

千葉隆礼

泡って、浮くね。 5

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~ふと、~

だが、僕たちの学びは終わっていなかった。

“あの日”から何か月経ったかは定かでは無いが、僕は高飛び込み用の水深5mプールで泳ぐ機会があった。

すると驚くことに5m深のプールの床から強烈な泡が発生していた。なぜプールにこんな装置があるのだろうか?ネットで調べると、どうやら高飛び込みの選手が水面の位置を確認するのに役立つらしい。

その泡に向かって泳ぐと水流の影響でなかなか前に進まない。やっとの思いで泡の真上に到達するとフワッと浮き、今度は泡の反対側へグーンと加速していく。普段使用しているプールでは得られない感覚だ。ジャグジーと比べて数倍の威力があるので、大人の私でもその影響を受けてしまう。でも、これが面白くって何度も同じ場所を行き来するのだ。

この瞬間に、あの日の言葉が蘇った。

本当だね。 。 。

泡って、浮くね。

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泡って、浮くね。 4

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~練習→習得→遊び→気づき~

レッスン終了前の5分で胸が苦しくなる出来事が起きた。

この時点で生徒は私のサポートを必要としなくなった。新しく得た「浮き身の術」を楽しんでいた。ジャグジーの隅で浮いていたかと思ったら、ジャグジーの泡の上で浮き始め、ジャグジーの水流で体が流されるのを楽しんでいるようだった。

ふいに生徒はコチラを見て言った

 

泡って、浮くね。

 

たぶん、これは“気づき”の言葉なんだろう・・・
ジャグジーの泡には浮き身をサポートする効果があると言っているのだろう

 

そう感じた瞬間、私は胸に強い圧迫を感じながら鳥肌が立った。

数秒の間、ジャグジーの音が霞み、ほどなくして再びボコボコという泡の音が聞こえてきた。

今、この瞬間に僕たちは互いに学びあったと実感した。

 

子供から言葉を引き出すというのは、こういうことか!

 

レッスン途中にヘッドがやってきて、「千葉く~ん、ジャグジーで練習したらアカンねんでぇ。」という光景を思い出しながら『見ているか!僕たちのこの美しい瞬間を、オマエには汚せまい!』と、心のなかで強く叫んだ。

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生徒と僕は、1週目で「けのび」を、2週目で「水中ジャンプ」を習得し、3週目から集団のグループに戻ることができた。最高の結果と時間を過ごすことが出来た。

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そして、3か月後、土曜日のシフト表から僕の名前は消えた。どんなに良い結果を出しても、ヘッドの生殺与奪権の行使には勝てなかった。この出来事が要因の1つとなって、僕はスイミングスクールから追い出されることになる。

 

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泡って、浮くね。 3

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~反復と慣れ~

何度も何度も何度も何度も、浮いて~立ち~浮いて~立ち~、生徒の腕や指を見ると浮かび上がっていたスジがボンヤリとしてくる。慣れてきたころだ。このあたりで子供に提案する。

『両手・両足についている浮き具のどれか1つを選んで外してごらん』

すると足につけている1つを外した。その状態で…

何度も何度も何度も何度も、浮いて~立ち~浮いて~立ち~、生徒の腕や指を見ると浮かび上がっていたスジがボンヤリとしてくる。慣れてきたころだ。このあたりで子供に提案する。

『両手・片足についている浮き具のどれか1つを選んで外してごらん』

すると腕につけている1つを外した。ちょうど右腕と左足の対角線上に浮き具を装着した恰好だ。その状態で何度も練習を重ねる。そして…

『どれを残す?』

すると、片腕の浮き具を残して両足の浮き具は完全に外れた。
今度は浮いて~立ち~、これを5度。余裕を感じる。

『やってみるぅ?』

生徒は自らの手で最後の補助具を外した。プールサイドには外した補助具が積みあがっている。

再び子供の指にスジが浮かびあがる。床を踏み切るのに緊張が走る。

浮いた!

だが、“立ち”に姿勢を変化させる瞬間に片足立ちになってしまった。体の硬直と慌てた気持ちが混ざって狙い通りの動きが出来なかった。

『水の中で立つのは簡単ではないんだ。もっと時間をかけてじっくりと両手両足をお腹に近づけるんだ。両足がヘソの前に来るのをジックリと見届けてから最後に顔を上げるんだ。』

この後、目指す動作を表現するまでに多くの時間は必要なかった。直前までの反復練習で「理解した」から「体で覚えた」まで体得していたからだ。

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