水は「押し・引き」

 


ある曜日の定期レッスンの子供達は予定が崩壊するかしないかスレスレの危なっかしい元気な子供達ばかりが来ている。

例えばコチラがクロールの練習をしたいと思っていても、今まで教わってもいないカエルっぽいオヨギ突然を見せてきて

「ねぇねぇ、このオヨギで何m泳げるかやってみてもいいー?!」

とか

「(グループで)シンクロオヨギして友情度を計測してーー!!」

とか

「荒波の中をクロールで泳ぎたいから横から波をつくってよー!(これをサバイバルクロールと呼んでいる)」

など、自分の中の妄想を具現化しようとしたり、以前行った練習内容が気に入って何度も“おかわり”しようとする。こうなると一瞬で私の予定は狂って崩壊する。

計画を崩壊させてグッと引き込むと子供達は野生の魚のようにプールの中を動き回り僕を子供の世界に誘い込む。“ちばちゃん”はというと、まあ、これが楽しくて予定の崩壊も悪くはない…まんざらでもないってやつだ。

ある程度の時間を夢中になって過ごすと、今度は千葉先生が現れて計画の中にグッと連れ戻し課題の泳法を練習する。

こんな「押し・引き」を繰り返しながら子供達は新たに修得したテクニックを使い、再び遊びの世界に戻っていく。

・・・こういった事を4・5年繰り返した高学年生徒のマンツーマンレッスン。この子との水遊びは水面にビート板を浮かばせてその上にヘルパーやプルブイと言われる水泳の用具を積み木の様に高く積み上げる。もちろん立ち泳ぎをしながらだ。立ち泳ぎが不安定だと水面が波立ちたちまちに崩れてしまう。積み重ねていくと高さがでるので腕を目一杯水面上に上げる…浮力の恩恵を受けることが出来ず沈みそうになる…これがまた難しい。技術を習得した者のみが得ることが出来る“高尚な遊び”だ。2人の子供達はキャッキャッ言いながら遊び、気付いたら1時間をオーバーしている。

 

千葉隆礼

彼で良かった。

大津のプールに男子トイレがある。このトイレ、自宅のトイレみたいに本来はカギをかけて利用する。

しかし、ここ2.3年程トイレの扉は壊れたままで、代わりにカーテンで仕切られているだけ。利用したい人はカーテンの下から見えるトイレスリッパが有るか無いかで、トイレの中に人がいるかどうか判断する。このトイレの何が困るかと言うとカーテン一枚隔てて廊下があり、男性も女性も行き交う。

ある日、このトイレで用を足していたら知らない小学生が入ってきて、絶賛放尿中の私と目が合った。

『えっ!?(出てってよ)』
と私が言ったら

「えっ!?」

『今、やってるよ!』

「今、やってんの?」

とオウム返し。

そのままジーとこちらを見るではないか。閉尿しようとしても上手くコントロール出来ない。私のモノは消火器みたいに一度出たら全部出るまでノンストップだ。

たまらず

『恥ずかしいから見ないでよ~。』

と言うと、小学生はクルリと向きを変えた。その矢先、プールの監視スタッフがカーテンを開けて小学生を注意しにやってきた。彼とも目が合った。。。彼で良かった。



以上。
*女子トイレと家族更衣室のトイレはカギがあります。

追記
2024年、男子トイレの引き戸は交換されて鍵が閉まるようになりました。


文責:千葉隆礼

イヤイヤ期のあなたへ

どうしても やりたくないのを 

ぼくは しっているよ

なぜ むきあいたくないかも 

ぼくは わかるよ

だから ぼくは

きみがもっている イヤイヤの 

それいじょうの げきれつなかんじょうを

きみに ぶつけるよ

……それではきいて

『いやって いうけど』

うた:ちばたかなり

『イタイ大人と、大人な子』

皆さんは日本の「三大科」をご存じだろうか。これを知らない方は日本の義務教育の内容を充分に修得していないと言える。出席しただけで学んだ気になってはいないだろうか?履修に重きを置く日本の教育の歪みである。

左記の「三大科」というのは「内科」「外科」「痛い痛いの飛んでいけ科」の3つを指す。何を隠そう私は「痛い痛いの飛んでいけ科」の先生である。誰からも評価されないので自ら宣言しておく、私は京都で一番の“痛い痛いの飛んでいけ科”の名医だ。

4年前にプールで幼児と着替えをしていた時のこと、その子が体勢を崩してロッカーに頭を打ち付けギャン泣きした事があった。ギャン泣きしたままサヨナラするのは寂しいので、私は全ての念をふり絞って「痛い痛いの飛んでいけ」を唱えた。すると、ものの30秒で幼児は泣き止んだ。

私はこの経験に味をしめて、幼児であろうが中学生であろうが、“痛い痛いの飛んでいけ”を何度も何度も繰り返す。ある一定の年齢を越えると全くハマらないどころか軽蔑の対象になるのがこの治療法だ。別の女子生徒からは、人差し指を唇に当てて「シーッ、恥ずかしいでしょ!皆に見られているよ!」とたしなめられるほどだ。それでもなお、摩擦熱で火が出るほどバカみたいに擦りまくっている。イタイ大人である。

ある日、小1のレッスンがあった。その生徒がプールに入った瞬間、苦悶に満ちた顔をしたのを私は見逃さなかった。丁寧に問診を行うと学校で膝小僧を擦りむいたとのこと。彼をプールサイドの診察台に座らせ例の呪文を唱えた。すると彼は大人が子供に向ける優しい笑みを私に向けながら“医者”の頭の上に手を置いた。「イタイイタイの飛んでいけ!」

千葉隆礼

 

生徒と赤の他人

私の指導方針は「初級の間は遠泳を見据えたオヨギの習得」です。理由はいくつかあります。1つは遠泳が出来るラクなオヨギを習得すると限られた時間内にたくさんの反復練習が出来るという点です。もう1つはラクなオヨギを習得すると「どこまで泳げるのだろう?」と限界に挑戦する子供が多いからです。

私の教室では週1で通う生徒の40%は1000m遠泳を達成しました。彼らはこれまでの練習で獲得した技術を駆使しながらジョギングをするかのようにゆっくりゆっくり泳ぎます。だいたい50mを2分前後のペースです。

この間、私はカウント係です。「50m…100m……300m…」たまに「もっとゆっくり~」とか「その調子」などの声をかけます。

500m(20分以上)を越えたところで周りで泳いでいるおっちゃんおばちゃんの表情が変わります。「あれ?あの子いつまで泳ぐのだろう?」
知らない人からの視線を感じるようになります。

1000mに達すると多くの生徒達はスッキリとした表情でオヨギを終えます。まれに、周りのおっちゃんおばちゃんから拍手が沸き起こります。

拍手の主は名前も知らない会話もしたことも無いおっちゃんおばちゃん達です。小さな子供の挑戦は時として赤の他人の心を動かします。彼らは人生で初めての1000mを達成しましたが、同時に人に感動を与える挑戦を成し遂げるのです。

 

水泳,スイミング,個別指導,
千葉隆礼