執筆:千葉
指導者が担当する生徒に「泳法習得」と合格の判断を下すのは本来はとても難しい事だと思います。それは普段から接しているためどうしても「情」に左右されがちだからです。また、運営や経営を第1に考えてしまうと「認定」の厳格さを揺るがすものになりうると思います。本来であれば審判がプレイヤーに対して判断を下すように第三者が「泳法習得」の合格認定を下すべきだと思います。私は生徒が短期間で習得しようが、習得までに時間がかかろうが、目の前の評判や利益が危ぶまれても、認定の基準にブレが無いように最大限の注意を払っています。
水泳講師は職人的職業だと思っています。大袈裟かもしれませんが、認定基準のブレがあるということは私や当教室の名が廃るということだとも感じています。もちろん運動神経が良い子もそうでない子も認定基準は同じです。なぜならオヨギや水という環境は絶対的なものですから。水は子供に合わせてくれませんし、水泳というスポーツも子供やその人の特性に合わせてくれません。認定基準がブレないということは、運動神経が良くないお子さんの場合は、私の指導が至らなければ永遠に合格認定出来ないということです。このようにならないためにもどのようにすれば子供が泳げるようになるか日々試行錯誤しながら指導に当たっています。
(*)認定基準に”ブレ”を排除すると、運動神経の良くないお子さんにとっては可哀想だと主張する講師もいます。ですが、出来ないものは出来ないのです。それをどのようにすれば出来るようになるのかというのが指導や練習です。みなし認定をすれば表面上「出来たテイ」となるかもしれませんが、ただそれだけです。手元には認定証があるだけで、実力を掴むことはできません。
補助付きの逆上がりしか出来ない子に「あなたは逆上がり出来ますね。(先生の補助付きだけど)次月頑張るよね?!・・・ま、いいでしょう!逆上がり合格!」としたらこれは合格認定の不正・ウソつきでしょう。せめて合格とするなら「補助付き逆上がり合格」とするべきです。水泳指導の世界において、足の甲や足の爪先で水を蹴る(切る)平泳ぎで合格にしているスイミングスクールの現場をたくさん見てきましたが、子供に「出来ている」とそのようなテイで合格にするのは不誠実です。ストレートな表現でドキッとさせてしまったかもしれませんが、「出来たテイ」とするのは保護者に対しても行うので、保護者も自分の子供が「出来ていない真実」を知らされていません。ですので…やはりそのように思います。
・・・続く・・・