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~あとがき~
民間スイミングスクールの水泳指導者は大きく2つの問題に挟まれている。会社の一員として、その事業を継続できる数字(業績)を求められる一方で、指導者としての立ち振る舞いを求められる。ヘッドにとって、この2つというのは相容れないものであって、容易に多くの生徒(会員)を集める為に“みなし認定”を行って子供や保護者にとって“心地よい体験”を演出する必要に迫られていたと感じている。
(地域柄もあると思うが)保護者にとってのスイムテスト不合格というのは、もう一度同じレッスン内容を受講しなけばいけない=月謝が余分にかかることを意味している。また保護者間での子育ての会話において、アドバンテージを築くことが出来ないと考える方も一定数いる。社員であるヘッドは、このような需要に応えるサービス内容を提供することが、会社から求められることだと思ったのだろう。
しかし、保護者が習い事に求めることはスムーズに進級して家計に優しいサービスを受けたい、ということだけではない。子供の成長にとって良い栄養素となる体験が出来るか、というのも習い事を通して得たいと思っている。例えば、大きな壁にぶち当たった時に、指導者のサポートを得ながら子供本人の手で乗り越える体験があれば、不合格が続いても“かけがえのない”大きな価値を感じる。
ただ、時にこれは指導者にとっては大きなプレッシャーになるのだ。皆さんも小学校の頃に先生の指導を受けても逆上がりが出来なかった同級生はいなかっただろうか?スイミングスクールにおいても指導力や情熱が無ければ、泳げるようにならない子供は一定数存在する。そういうことが実際に起こってしまうと、担当の指導者は能力不足を突きつけられ、地域の保護者や周りの指導者からの評判が下がってしまう。多くの指導者は、こういった事が数字(業績)にも反映されることと、子供に挫折を与えることを恐れている。
だからこそ、「みなし認定」を引き起こしてしまう。実際に私が所属していたスクールでは、出来ていないのに“みなし認定”を行うことに対するクレームは少ないのに、不合格だった時のクレームの方が多かった。保護者のプレッシャーに負けてしまう優しい指導者ほど、「出来たテイ」にして習得していない事実を掻き消してしまう傾向があった。逆に、みなし認定を行ったことで保護者からの指摘がある指導者は、それが大変幸せなことだということにも気づいてもらいたい。教育に理解ある保護者が集まるというのは、指導者として恵まれた環境にいるとも言えるからだ。
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当時、私とヘッドは同じ立場ではなかった。私はアルバイターだったので具体的な数字を求められることがなかったからだ。保護者から能力不足と評価されても、みなし認定をせずに下級指導者として“もがく”ことが出来る立場だった。自主無償でスイムプリントを100枚以上作ったり、指導者勉強会を開催することが出来た(*)のも、出過ぎた行動をとることによってクビになったとしても失うものは何も無かったからだ。
(*)実際にはこれらの活動が認められて一部ボーナスをいただいたことはある。
もっとも、スイミングスクール(会社全体)としての方針を明確に定めて、その方向へ進む者が賞賛されるべきであったと思っている。当時の社内規範では「ウソをつかない」と明記されていたが、実際の業務では、出来ないことを出来たテイにする“みなし認定”「ウソ」(*)が習慣化されていた。この文化が出来てしまったのもサラリーマンとしての業績の向上と、指導者としての立ち振る舞いの両者において、相容れない性質があったからだと思っている。この相容れない性質のなかで、どこにバランスを置くか…方針を定めて現場に落とし込むのが本部の役割である。俗に「本部は現場を理解していない」というのはこういった事象を正確に認識し行動に移すことができていないというのもあるのかもしれない。
(*)“けのび”だけではなく、タイムのサバ読みをしてベストタイム更新の演出があったケースも認識している。
補足:ヘッドは自分の担当数を減らす目的で「けのび」の“みなし認定”を行ったとも推測できる。全員合格ということにして、千葉のグループに組み込んでやろうという算段だ。ヘッドは固定給なので担当レッスンが多くても少なくても同じ給料である。それならばなるべくプールに入りたくないと考えたのかもしれない。また、合格認定をバンバン出すことで指導力があるということを演出していた可能性もある。
おわり
千葉隆礼