泡って、浮くね。 2

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~機転と伝え方~

次の週、私とのマンツーマンレッスンが始まった。開始直後、寒さでガタガタを震える生徒をみて、この状態では短時間で「けのび」クリアは難しいと感じた。一歩引いて何か別の方法は無いかと周りをみるとジャグジーが目に留まった。温かいジャグジーで練習すれば、筋肉がほぐれるだろう。

ジャグジーでは生徒の両手両足に輪っかの形をした浮き具を計4つ装着した。アームヘルパーに似たような形の浮き具だ。この練習では以下の2つに狙いを絞った。

①“フワッ”と浮く感覚に慣れる

②浮いた状態から直立への姿勢の変化を覚える(*)
(*)1つの方法として、うつ伏せ姿勢から両手両足をお腹に近づる→両足は腰よりも前方に運ぶ→両足が床に着いたのを確認してから顔を上げる。

…①は陸上では得られないプールならではの感覚だ。子供の人生において経験したことのない“フワッ”に慣れてしまうことで恐怖心を薄めてしまおうという算段だ。“習うより慣れろ”という言葉があるが「けのび」習得においては、割とこのような性質は強いと思っている。慣れるには何度も何度も反復練習が必要だ。これを満たすにはマンツーマンが最適だった。

…②。「けのび」を怖がるもう一つの理由は、体が硬直する初心者にとって“うつ伏せ”から“立ち”に戻るのは容易ではないことだ。慣れていない子供は“立ち”に戻る際、足が床に着いていないのに顔を上げようとする。こうすると体は余計に沈んでしまうばかりか、直立という安全な状態に戻れない。意のままに“立ち”姿勢に戻る術を身につけると、安心感を得て「けのび」の練習と向き合うことが出来る。

特に②に関しては(*)の順番通りに無意識レベルで体が動くまで反復練習を行う。今のは千葉の説明通りに出来たか、どの部分に不足があったか、片足で立とうとしていないか、何回連続で目指す動きが出来たか…こういったことを生徒の動きを見て判断し真実と照らし合わせて正確に伝える。

真実では無いことを真実のように偽装して褒めるのはベターでは無い。こういう指導をしてしまうと、子供は「今の練習は正確に出来たのか、それとも少し不正確だったのか、大きく的を外したのか。どの程度・具合だったのか。」そのような判断が出来なくなってしまう。

子供が身につける「出来た」「少し出来た」「どの程度出来た」という物事を判断する“感覚”を“精密な物差し”に育て上げるには、指導者が今見た動きを「どの具合で出来た」のか正確に伝える必要がある。“安易な褒め”の多くのケースにおいて、「どの程度・具合なのか」というのを掻き消してしまっている。

 

つづく

 

泡って、浮くね。 1

 

~前置き~

10年以上前…教室を開催した時よりも前の話。私はアルバイト講師をしていた。

当時の私は土曜日10:30~のクラスでバタ足グループ10名強を担当。バタ足よりも更に初級の水慣れグループでは当時のヘッドコーチ(以下、ヘッド)が3名程の生徒を受け持っていた。

私が担当するグループは、ヘッドの水慣れグループから「けのび」「水中ジャンプ」をクリアした子供達が割り当てられる。特に「けのび」は恐怖(*)を克服する種目でもあるので、その恐怖心が消えなければクロールの練習も満足に出来ない。クロールの練習には最低条件として「けのび」のクリアが必要である。
(*)フワッと浮く感覚に慣れるまで恐怖を抱く子供が一定数いる

ある進級テスト日に、「けのび」が満足に出来ていないのに合格認定された生徒を目撃してしまった。実はそれ以前にも何度も何度も、出来ていないのに合格=みなし認定の現場を目撃し、その子供たちを私が責任をもって中身の伴う実力を身につけてもらう指導が何年も続いた。もう、そのような“タイムループ”に辟易していた。

もちろん、私は裏で愚痴をこぼしながらも、ヘッドの“みなし教育法”に従う人間では無い。私に認定偽証をさせるには時給1000円では足りず5億円ほどの金を積み上げる必要がある…というバカな話は置いておき、当時の私は自主的無償で「月1指導者勉強会」「週1実技練習会」「自主練発表会」を開催し、何とか“タイムループ”からの脱出を試みた。だが、上手くいかなかった。力不足だった。

話を戻し、上述の進級テスト日に「けのび」のみなし認定を受けた生徒がプール脇のジャグジーに浸かっている隙に、ヘッドコーチに向かって強く進言した。

『誤った判定をした。と本人に謝罪して認定証を取り下げてもらいたい。』

「へ?何言うてんの?あの子、浮けるで。」

『……(そんな嘘で私を騙せるとでも?!)』

もう、タイムループから脱却するには私とヘッドの目の前で例の生徒に「けのび」をしてもらうしかなかった。今でもこれは良い方法とは言えないが……ジャグジーに浸かってホッとしている生徒に声をかけ、もう一度プールに戻って「けのび」を見せてもらった。案の上、何度チャレンジしても両足が床から0.2秒離れただけで立ってしまう。強い恐怖心を感じている様子が容易に判断できた。たが、ヘッドは強引に認定証を手渡してしまった。もちろん、事務所に戻れば私とヘッドは…えぇ、皆様のご想像通りで…。

私は、ヘッドの更に上司である施設責任者に進言して、例の生徒とバタ足クラスの両方の責任の所在を千葉に置いてもらった。さらに私にサポート講師をつけてもらい、その講師にグループ本体を、例の生徒は千葉がマンツーマンで指導し、短時間で集団の泳力に追いつくプランを立てた。

つづく→コチラ

*このシリーズは2週間に1度のペースで6話まで投稿予定です

『認定について』〜4/4〜

執筆:千葉

・・・前回の続き・・・

数年前の話ですが当教室の講師採用実技・面接試験で「〇〇スイミングスクールで1級とりました!ジュニア選手もしていました!」というアピールで来られた爽やかな青年がいました。オヨギを見てみるとバタフライはヒジがグニャリと曲がり、平泳ぎはしっかりと足の裏で踏み込めていないものでした。泳法違反も確認できました。クロールも力づくで技術的なものは何一つございません。本人はスイミングスクールから合格認定証や賞状を貰ったからと「上手に出来ている!」と思い込んでいますが、それは所属していたスイミングスクール(*)の営業活動による「みなし認定」の産物であって、世間では全く通用しないものでした。その青年は受け答えがとてもしっかりとしており、爽やかで素直さも兼ね備えた人物でしたので、とても苦しい気持ちになりました。オヨギ以外は完璧で申し分なく良き指導者になりうる品もありました……ただただお別れするのが勿体ないと思い、その晩一緒に焼鳥屋に行き、呑み語り合い、その後お別れしました。
(*)すべてのスイミングスクールがそうではありません。

認定証と本来の実力にギャップがあると後に取り返しのつかないことになります。「みなし認定」が通用するのは所属しているスイミングスクールの中の世界だけです。そもそも「実力をどうつけるか」よりもカタチだけの「認定証」が重要視されているのでは本末転倒です。私は認定証を与えられた時に出る一時的な子供の笑顔よりも、上手くいかない時期を根気強く乗り越え目標をクリアした時の達成感や過程を大切にしています。

当教室では基本的に賞状・認定証というカタチでの泳力認定は行いませんが、定期レッスンでは(子供目線での)技術習得を実感してもらう手法をとる場合はございます。一方で純粋にオヨギを楽しんでいるお子さんにはそれさえもしないことがあります。私がそれよりも優先する事は、頑張って練習を継続している生徒に対して「世に出ても恥じぬオヨギ」を伝えることです。

『認定について』〜3/4〜

執筆:千葉

・・・前回の続き・・・

認定とは本来とても難しいものです。特に指導者本人がいつも見ている生徒の判定を下す場合、情が入ってしまうのを避けて通れません。認定というものは指導者とは別の組織の者,全く別の人間(試験監督)が厳正なる判定を下すのが本来あるべき姿だと思います。(受験の際に普段師事している先生が〇〇中学or高校合格と判定することはありえませんよね)…ですので指導者がその者のサジ加減で「合格あげる〜♪」と合格証や賞状を与えることに若干の違和感を覚えます。

「みなし認定」…これが組織内でエスカレートしていくと合格認定証のばら撒きが行われるようになります。まるで大衆的な洋服店などでどんな服を試着しても「お客様とってもお似合いです〜♡」と同じように、「お客様~♡とっても水泳お上手ですぅ~♪」と認定証をバラ撒きます。合格認定証のばら撒きは紙幣のスーパーインフレの様な現象を引き起こします。合格認定証をばら撒けば確かに安易な手法でたくさんの生徒は笑顔になります。ただし、「ぼく・わたし、水泳が好きだ。」とはなりません(*)。指導者がニコニコしているから釣られてニコニコするのです。親にお菓子などのご褒美がもらえるから喜んでいるのです。その証拠に、みんな平泳ぎやバタフライの(みなし)認定証を貰えば辞めていく子がほとんどですから。本当に好きならず~~っと続けますものね。

(*)「合格認定証をもらえるから好き」「時間があれば泳ぎたいほどに水泳が好き」ここでは後者を指します。

認定証や賞状を渡すことで子供を喜ばせる事は容易いです。ですが、それを狙う為に認定証をバラまいていたのではその効果は数を追うごとに薄れていきます。ただただ教室に通いその時間を過ごすだけで毎月の様に認定証を貰えるのでしたら、それは単なる日常的な出来事に過ぎません。毎日当り前のように白ご飯を与えられ「頑張ったご褒美♪明日も頑張って勉強しよう!!」とはならないのと同じです。私は自分へのご褒美にアメちゃん1粒で満足していた少年時代がありましたが、今はアメちゃんでは満足できずケーキを食べないと自分へのご褒美になりません。皆様もそのような経験はございませんか?

・・・続く・・・

『認定について』〜2/4〜

執筆:千葉

・・・前回の続き・・・

私の独立前スイミングスクール所属時の話(*1)ですが、「モチベーションが上がる」「やる気が出る」という認識のもと、「なかなか上手く出来ない」子にテキトーな(*2)レッスンをして”出来ていないまま”合格認定をする「みなし認定」の現場を頻繁に目の当たりにしました。もちろんタイム測定のサバ読みなんて当たり前です。・・・もしかしたら担当講師の様々な事情があったのかもしれませんが・・・驚くのはこの時に喜んだ生徒をみて“私は生徒のやる気を引き出した”と誤認して酔いしれている指導者が少なくない事です。
(*)独立前は複数のスイミングスクールをアルバイト掛け持ちで指導担当していました。
(*)クレームが出ない“それとなく装う”,“それらしきフリをする”指導

当事者は”本当にやる気が出た子供”の真の姿を見たことがないのでしょう。“本当にやる気が出た子供”というのは休みの日になると親にせがんで駄々こねて「プールに行きたい!連れてって!」と言ってプールでオヨギの練習をするはずです。もちろん、この状況まで導くのは非常に難しく、ゲームなどの世に無数に存在する娯楽以上に水泳の魅力を感じさせる必要があります。

合格できないのは可哀想だと主張する指導者も存在します。そう思うなら「この子はどうすれば泳げるようになるだろうか」と勉強して考えて工夫して試行錯誤悩んで落ち込んでああして・こうして・これやってみて・これでどうだろう・少し前進したかな・ん~違うな・こっちはどうだろう…指導者は「認定証のバラ撒き」を行うのではなく、生徒と一緒に悩んで動いて…最後には確かな実力をつけさせるべきです。そのような行動の後に「合格できないのは可哀想だ」と主張するのであれば一理ある言い分だと思います。

・・・続く・・・