泡って、浮くね。 6

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~あとがき~

民間スイミングスクールの水泳指導者は大きく2つの問題に挟まれている。会社の一員として、その事業を継続できる数字(業績)を求められる一方で、指導者としての立ち振る舞いを求められる。ヘッドにとって、この2つというのは相容れないものであって、容易に多くの生徒(会員)を集める為に“みなし認定”を行って子供や保護者にとって“心地よい体験”を演出する必要に迫られていたと感じている。

(地域柄もあると思うが)保護者にとってのスイムテスト不合格というのは、もう一度同じレッスン内容を受講しなけばいけない=月謝が余分にかかることを意味している。また保護者間での子育ての会話において、アドバンテージを築くことが出来ないと考える方も一定数いる。社員であるヘッドは、このような需要に応えるサービス内容を提供することが、会社から求められることだと思ったのだろう。

しかし、保護者が習い事に求めることはスムーズに進級して家計に優しいサービスを受けたい、ということだけではない。子供の成長にとって良い栄養素となる体験が出来るか、というのも習い事を通して得たいと思っている。例えば、大きな壁にぶち当たった時に、指導者のサポートを得ながら子供本人の手で乗り越える体験があれば、不合格が続いても“かけがえのない”大きな価値を感じる。

ただ、時にこれは指導者にとっては大きなプレッシャーになるのだ。皆さんも小学校の頃に先生の指導を受けても逆上がりが出来なかった同級生はいなかっただろうか?スイミングスクールにおいても指導力や情熱が無ければ、泳げるようにならない子供は一定数存在する。そういうことが実際に起こってしまうと、担当の指導者は能力不足を突きつけられ、地域の保護者や周りの指導者からの評判が下がってしまう。多くの指導者は、こういった事が数字(業績)にも反映されることと、子供に挫折を与えることを恐れている。

だからこそ、「みなし認定」を引き起こしてしまう。実際に私が所属していたスクールでは、出来ていないのに“みなし認定”を行うことに対するクレームは少ないのに、不合格だった時のクレームの方が多かった。保護者のプレッシャーに負けてしまう優しい指導者ほど、「出来たテイ」にして習得していない事実を掻き消してしまう傾向があった。逆に、みなし認定を行ったことで保護者からの指摘がある指導者は、それが大変幸せなことだということにも気づいてもらいたい。教育に理解ある保護者が集まるというのは、指導者として恵まれた環境にいるとも言えるからだ。

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当時、私とヘッドは同じ立場ではなかった。私はアルバイターだったので具体的な数字を求められることがなかったからだ。保護者から能力不足と評価されても、みなし認定をせずに下級指導者として“もがく”ことが出来る立場だった。自主無償でスイムプリントを100枚以上作ったり、指導者勉強会を開催することが出来た(*)のも、出過ぎた行動をとることによってクビになったとしても失うものは何も無かったからだ。
(*)実際にはこれらの活動が認められて一部ボーナスをいただいたことはある。


もっとも、スイミングスクール(会社全体)としての方針を明確に定めて、その方向へ進む者が賞賛されるべきであったと思っている。当時の社内規範では「ウソをつかない」と明記されていたが、実際の業務では、出来ないことを出来たテイにする“みなし認定”「ウソ」(*)が習慣化されていた。この文化が出来てしまったのもサラリーマンとしての業績の向上と、指導者としての立ち振る舞いの両者において、相容れない性質があったからだと思っている。この相容れない性質のなかで、どこにバランスを置くか…方針を定めて現場に落とし込むのが本部の役割である。俗に「本部は現場を理解していない」というのはこういった事象を正確に認識し行動に移すことができていないというのもあるのかもしれない。
(*)“けのび”だけではなく、タイムのサバ読みをしてベストタイム更新の演出があったケースも認識している。

 

補足:ヘッドは自分の担当数を減らす目的で「けのび」の“みなし認定”を行ったとも推測できる。全員合格ということにして、千葉のグループに組み込んでやろうという算段だ。ヘッドは固定給なので担当レッスンが多くても少なくても同じ給料である。それならばなるべくプールに入りたくないと考えたのかもしれない。また、合格認定をバンバン出すことで指導力があるということを演出していた可能性もある。

おわり

千葉隆礼

泡って、浮くね。 5

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~ふと、~

だが、僕たちの学びは終わっていなかった。

“あの日”から何か月経ったかは定かでは無いが、僕は高飛び込み用の水深5mプールで泳ぐ機会があった。

すると驚くことに5m深のプールの床から強烈な泡が発生していた。なぜプールにこんな装置があるのだろうか?ネットで調べると、どうやら高飛び込みの選手が水面の位置を確認するのに役立つらしい。

その泡に向かって泳ぐと水流の影響でなかなか前に進まない。やっとの思いで泡の真上に到達するとフワッと浮き、今度は泡の反対側へグーンと加速していく。普段使用しているプールでは得られない感覚だ。ジャグジーと比べて数倍の威力があるので、大人の私でもその影響を受けてしまう。でも、これが面白くって何度も同じ場所を行き来するのだ。

この瞬間に、あの日の言葉が蘇った。

本当だね。 。 。

泡って、浮くね。

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泡って、浮くね。 4

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~練習→習得→遊び→気づき~

レッスン終了前の5分で胸が苦しくなる出来事が起きた。

この時点で生徒は私のサポートを必要としなくなった。新しく得た「浮き身の術」を楽しんでいた。ジャグジーの隅で浮いていたかと思ったら、ジャグジーの泡の上で浮き始め、ジャグジーの水流で体が流されるのを楽しんでいるようだった。

ふいに生徒はコチラを見て言った

 

泡って、浮くね。

 

たぶん、これは“気づき”の言葉なんだろう・・・
ジャグジーの泡には浮き身をサポートする効果があると言っているのだろう

 

そう感じた瞬間、私は胸に強い圧迫を感じながら鳥肌が立った。

数秒の間、ジャグジーの音が霞み、ほどなくして再びボコボコという泡の音が聞こえてきた。

今、この瞬間に僕たちは互いに学びあったと実感した。

 

子供から言葉を引き出すというのは、こういうことか!

 

レッスン途中にヘッドがやってきて、「千葉く~ん、ジャグジーで練習したらアカンねんでぇ。」という光景を思い出しながら『見ているか!僕たちのこの美しい瞬間を、オマエには汚せまい!』と、心のなかで強く叫んだ。

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生徒と僕は、1週目で「けのび」を、2週目で「水中ジャンプ」を習得し、3週目から集団のグループに戻ることができた。最高の結果と時間を過ごすことが出来た。

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そして、3か月後、土曜日のシフト表から僕の名前は消えた。どんなに良い結果を出しても、ヘッドの生殺与奪権の行使には勝てなかった。この出来事が要因の1つとなって、僕はスイミングスクールから追い出されることになる。

 

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泡って、浮くね。 3

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~反復と慣れ~

何度も何度も何度も何度も、浮いて~立ち~浮いて~立ち~、生徒の腕や指を見ると浮かび上がっていたスジがボンヤリとしてくる。慣れてきたころだ。このあたりで子供に提案する。

『両手・両足についている浮き具のどれか1つを選んで外してごらん』

すると足につけている1つを外した。その状態で…

何度も何度も何度も何度も、浮いて~立ち~浮いて~立ち~、生徒の腕や指を見ると浮かび上がっていたスジがボンヤリとしてくる。慣れてきたころだ。このあたりで子供に提案する。

『両手・片足についている浮き具のどれか1つを選んで外してごらん』

すると腕につけている1つを外した。ちょうど右腕と左足の対角線上に浮き具を装着した恰好だ。その状態で何度も練習を重ねる。そして…

『どれを残す?』

すると、片腕の浮き具を残して両足の浮き具は完全に外れた。
今度は浮いて~立ち~、これを5度。余裕を感じる。

『やってみるぅ?』

生徒は自らの手で最後の補助具を外した。プールサイドには外した補助具が積みあがっている。

再び子供の指にスジが浮かびあがる。床を踏み切るのに緊張が走る。

浮いた!

だが、“立ち”に姿勢を変化させる瞬間に片足立ちになってしまった。体の硬直と慌てた気持ちが混ざって狙い通りの動きが出来なかった。

『水の中で立つのは簡単ではないんだ。もっと時間をかけてじっくりと両手両足をお腹に近づけるんだ。両足がヘソの前に来るのをジックリと見届けてから最後に顔を上げるんだ。』

この後、目指す動作を表現するまでに多くの時間は必要なかった。直前までの反復練習で「理解した」から「体で覚えた」まで体得していたからだ。

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泡って、浮くね。 2

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~機転と伝え方~

次の週、私とのマンツーマンレッスンが始まった。開始直後、寒さでガタガタを震える生徒をみて、この状態では短時間で「けのび」クリアは難しいと感じた。一歩引いて何か別の方法は無いかと周りをみるとジャグジーが目に留まった。温かいジャグジーで練習すれば、筋肉がほぐれるだろう。

ジャグジーでは生徒の両手両足に輪っかの形をした浮き具を計4つ装着した。アームヘルパーに似たような形の浮き具だ。この練習では以下の2つに狙いを絞った。

①“フワッ”と浮く感覚に慣れる

②浮いた状態から直立への姿勢の変化を覚える(*)
(*)1つの方法として、うつ伏せ姿勢から両手両足をお腹に近づる→両足は腰よりも前方に運ぶ→両足が床に着いたのを確認してから顔を上げる。

…①は陸上では得られないプールならではの感覚だ。子供の人生において経験したことのない“フワッ”に慣れてしまうことで恐怖心を薄めてしまおうという算段だ。“習うより慣れろ”という言葉があるが「けのび」習得においては、割とこのような性質は強いと思っている。慣れるには何度も何度も反復練習が必要だ。これを満たすにはマンツーマンが最適だった。

…②。「けのび」を怖がるもう一つの理由は、体が硬直する初心者にとって“うつ伏せ”から“立ち”に戻るのは容易ではないことだ。慣れていない子供は“立ち”に戻る際、足が床に着いていないのに顔を上げようとする。こうすると体は余計に沈んでしまうばかりか、直立という安全な状態に戻れない。意のままに“立ち”姿勢に戻る術を身につけると、安心感を得て「けのび」の練習と向き合うことが出来る。

特に②に関しては(*)の順番通りに無意識レベルで体が動くまで反復練習を行う。今のは千葉の説明通りに出来たか、どの部分に不足があったか、片足で立とうとしていないか、何回連続で目指す動きが出来たか…こういったことを生徒の動きを見て判断し真実と照らし合わせて正確に伝える。

真実では無いことを真実のように偽装して褒めるのはベターでは無い。こういう指導をしてしまうと、子供は「今の練習は正確に出来たのか、それとも少し不正確だったのか、大きく的を外したのか。どの程度・具合だったのか。」そのような判断が出来なくなってしまう。

子供が身につける「出来た」「少し出来た」「どの程度出来た」という物事を判断する“感覚”を“精密な物差し”に育て上げるには、指導者が今見た動きを「どの具合で出来た」のか正確に伝える必要がある。“安易な褒め”の多くのケースにおいて、「どの程度・具合なのか」というのを掻き消してしまっている。

 

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