イヤイヤ期のあなたへ

どうしても やりたくないのを 

ぼくは しっているよ

なぜ むきあいたくないかも 

ぼくは わかるよ

だから ぼくは

きみがもっている イヤイヤの 

それいじょうの げきれつなかんじょうを

きみに ぶつけるよ

……それではきいて

『いやって いうけど』

うた:ちばたかなり

『イタイ大人と、大人な子』

皆さんは日本の「三大科」をご存じだろうか。これを知らない方は日本の義務教育の内容を充分に修得していないと言える。出席しただけで学んだ気になってはいないだろうか?履修に重きを置く日本の教育の歪みである。

左記の「三大科」というのは「内科」「外科」「痛い痛いの飛んでいけ科」の3つを指す。何を隠そう私は「痛い痛いの飛んでいけ科」の先生である。誰からも評価されないので自ら宣言しておく、私は京都で一番の“痛い痛いの飛んでいけ科”の名医だ。

4年前にプールで幼児と着替えをしていた時のこと、その子が体勢を崩してロッカーに頭を打ち付けギャン泣きした事があった。ギャン泣きしたままサヨナラするのは寂しいので、私は全ての念をふり絞って「痛い痛いの飛んでいけ」を唱えた。すると、ものの30秒で幼児は泣き止んだ。

私はこの経験に味をしめて、幼児であろうが中学生であろうが、“痛い痛いの飛んでいけ”を何度も何度も繰り返す。ある一定の年齢を越えると全くハマらないどころか軽蔑の対象になるのがこの治療法だ。別の女子生徒からは、人差し指を唇に当てて「シーッ、恥ずかしいでしょ!皆に見られているよ!」とたしなめられるほどだ。それでもなお、摩擦熱で火が出るほどバカみたいに擦りまくっている。イタイ大人である。

ある日、小1のレッスンがあった。その生徒がプールに入った瞬間、苦悶に満ちた顔をしたのを私は見逃さなかった。丁寧に問診を行うと学校で膝小僧を擦りむいたとのこと。彼をプールサイドの診察台に座らせ例の呪文を唱えた。すると彼は大人が子供に向ける優しい笑みを私に向けながら“医者”の頭の上に手を置いた。「イタイイタイの飛んでいけ!」

千葉隆礼

 

うんそうじゃない

イヤなものから逃げる。

それが幼児なのかもしれない。

私はあの手この手で水慣れが出来るように働きかける。イヤなものを別のものに「すり替える」「気をそらせる」…手段の1つだ。たくさんの手段を用いても上手くいかないのが幼児だ。全ての時間が歯痒い。

「お顔をつけて・・・ゴシゴシゴシゴシ、はい、平気!」
コレを歌にのせてやる。平気の部分でダブルピースのポーズだ。幼児はこのポーズをしたいがために顔つけもセットでしてくれるわけだ。
 ある日、「家でたくさん練習してきたよー」と幼児が言う。じゃあ、練習の成果を見せてよ、というと顔つけをスルーして満面の笑みでダブルピースをするではないか


うん…そうじゃない。


 頻繁にプールの水を飲んでしまう幼児がいる。とても苦しそうな表情をするのだが、私は教室の掟と称してプールの水を飲んだ後に「ごちそうさまでした」と言わせ“御決まり”にしている。何だか滑稽な“御決まり”をすることで苦しい気持ちが紛れる。
 ある時、「せんせー。今日、ごちそうさまを21回も言えたよ!!」自慢げに言ってくるではないか


うん…そうじゃない。


 力まかせでバタ足をする幼児。千葉理論を跳ね除け、野性の感覚だけで泳ごうとする。このまま放置したほうが本人にとって楽しいかもしれないが、ある段階で伸び悩む時期が来る。野性児にあの手この手で技術を教え込み、効率良く進むようになった。
「ホント、キミってバタ足上手くなったねぇ」
安易な褒め方だった。
「うん、僕ね。上手になったから、もうバタ足しなくてもイイんだ。じゃあね。」


うん…そうじゃない。

 

千葉隆礼