『認定について』〜4/4〜

執筆:千葉

・・・前回の続き・・・

数年前の話ですが当教室の講師採用実技・面接試験で「〇〇スイミングスクールで1級とりました!ジュニア選手もしていました!」というアピールで来られた爽やかな青年がいました。オヨギを見てみるとバタフライはヒジがグニャリと曲がり、平泳ぎはしっかりと足の裏で踏み込めていないものでした。泳法違反も確認できました。クロールも力づくで技術的なものは何一つございません。本人はスイミングスクールから合格認定証や賞状を貰ったからと「上手に出来ている!」と思い込んでいますが、それは所属していたスイミングスクール(*)の営業活動による「みなし認定」の産物であって、世間では全く通用しないものでした。その青年は受け答えがとてもしっかりとしており、爽やかで素直さも兼ね備えた人物でしたので、とても苦しい気持ちになりました。オヨギ以外は完璧で申し分なく良き指導者になりうる品もありました……ただただお別れするのが勿体ないと思い、その晩一緒に焼鳥屋に行き、呑み語り合い、その後お別れしました。
(*)すべてのスイミングスクールがそうではありません。

認定証と本来の実力にギャップがあると後に取り返しのつかないことになります。「みなし認定」が通用するのは所属しているスイミングスクールの中の世界だけです。そもそも「実力をどうつけるか」よりもカタチだけの「認定証」が重要視されているのでは本末転倒です。私は認定証を与えられた時に出る一時的な子供の笑顔よりも、上手くいかない時期を根気強く乗り越え目標をクリアした時の達成感や過程を大切にしています。

当教室では基本的に賞状・認定証というカタチでの泳力認定は行いませんが、定期レッスンでは(子供目線での)技術習得を実感してもらう手法をとる場合はございます。一方で純粋にオヨギを楽しんでいるお子さんにはそれさえもしないことがあります。私がそれよりも優先する事は、頑張って練習を継続している生徒に対して「世に出ても恥じぬオヨギ」を伝えることです。

『認定について』〜3/4〜

執筆:千葉

・・・前回の続き・・・

認定とは本来とても難しいものです。特に指導者本人がいつも見ている生徒の判定を下す場合、情が入ってしまうのを避けて通れません。認定というものは指導者とは別の組織の者,全く別の人間(試験監督)が厳正なる判定を下すのが本来あるべき姿だと思います。(受験の際に普段師事している先生が〇〇中学or高校合格と判定することはありえませんよね)…ですので指導者がその者のサジ加減で「合格あげる〜♪」と合格証や賞状を与えることに若干の違和感を覚えます。

「みなし認定」…これが組織内でエスカレートしていくと合格認定証のばら撒きが行われるようになります。まるで大衆的な洋服店などでどんな服を試着しても「お客様とってもお似合いです〜♡」と同じように、「お客様~♡とっても水泳お上手ですぅ~♪」と認定証をバラ撒きます。合格認定証のばら撒きは紙幣のスーパーインフレの様な現象を引き起こします。合格認定証をばら撒けば確かに安易な手法でたくさんの生徒は笑顔になります。ただし、「ぼく・わたし、水泳が好きだ。」とはなりません(*)。指導者がニコニコしているから釣られてニコニコするのです。親にお菓子などのご褒美がもらえるから喜んでいるのです。その証拠に、みんな平泳ぎやバタフライの(みなし)認定証を貰えば辞めていく子がほとんどですから。本当に好きならず~~っと続けますものね。

(*)「合格認定証をもらえるから好き」「時間があれば泳ぎたいほどに水泳が好き」ここでは後者を指します。

認定証や賞状を渡すことで子供を喜ばせる事は容易いです。ですが、それを狙う為に認定証をバラまいていたのではその効果は数を追うごとに薄れていきます。ただただ教室に通いその時間を過ごすだけで毎月の様に認定証を貰えるのでしたら、それは単なる日常的な出来事に過ぎません。毎日当り前のように白ご飯を与えられ「頑張ったご褒美♪明日も頑張って勉強しよう!!」とはならないのと同じです。私は自分へのご褒美にアメちゃん1粒で満足していた少年時代がありましたが、今はアメちゃんでは満足できずケーキを食べないと自分へのご褒美になりません。皆様もそのような経験はございませんか?

・・・続く・・・